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『ひぐらし』と『わたモテ』

今最近個人的に熱い両作品に関して思ったことをちょっとだけ書きます。

実は二つとも自分の中で再燃した作品だったりするんですね。
両作品ともに自分がハマったのは2013年頃です。

順番としては覚えていませんがどちらも夏だったのは記憶してます。
少なくとも『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』のアニメが放送前に宣伝されているのを見てわたモテを購入開始。
2013年に高校入学、初めての携帯電話としてスマートフォンを購入し、ネットに手軽にアクセス出来るようになって訪れたニコニコ動画で『ひぐらしのなく頃に』を知り、ゲオで中古の『ひぐらしのなく頃に祭』を購入。

まあ正直大して関係はないです。強いて言うならいずれも『スクウェア・エニックス』さんから出版している程度かな(ひぐらしは鬼隠し編をはじめスクウェア・エニックス各紙で連載されてました)。

しかし今になってなんとなくの共通点(こじつけとも言える)を見出しました。
いずれも「人との関り」が描かれているような気がします。『ひぐらし』は言わずもがな、「人との信頼、コミュニケーションなどが大事であり、それを怠った故、最悪な結果が訪れる」(個人的要約)というのが「鬼隠し編」・「綿流し編」・「祟殺し編」の出題編で語られています。そして解答編に当たる「罪滅し編」・「皆殺し編」ではお互いを信頼することで一筋の希望を見出し最後の「祭囃し編」にて最高のエンディングを迎えることが出来ました。

一方『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』にこの要素が当てはまるのか?
少なくとも初期の頃のもこっちはお世辞にもコミュニケーションがよく出来ているとは思いません。もちろん今も完璧とは言えません。しかし修学旅行の際、自らが行動し、僅かとはいえ田村ゆり・吉田茉咲の二人の信頼も得て、旅行後も学校内で触れ合う友達が出来ました。

そもそも『ひぐらし』という作品は時代が平成となり、徐々に近所づきあいが減っている世の中に警鐘を鳴らした作品だったようにも思います。もちろん人との関りがかつての時代のように密であればいい、というものでもないでしょう。『ひぐらし』内でも、前原圭一が疑心暗鬼になった時のように、ある種の監視と捉えてしまうこともあります(極論ですが)。しかしそれと同時に信頼だったり、関りを断ち切ってはなにかしらの人間関係に支障をきたすわけです。
『ひぐらしのなく頃に』が世に出て10年以上になり、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』を始め、いわゆるぼっちや友達が少ないなどの題材の作品も結構あるように感じます(あくまで個人的感覚。あまりアニメなどのコンテンツなどに触れてないので間違いかもしれません)。
少なくとも今の『わたモテ』の物語は、ぼっちを貫き通したもこっちだと描けなかったものです。例え智黄やゆうちゃんが今以上に頑張ってもあくまで学年が違う弟と学校の違う親友では限度があります。二年生になりネモ(根元陽菜)や小宮山さんといった友人の出現が必要不可欠だったわけです。

ネットという世界中遠く離れた人とのやり取りが出来る場が出来た一方、身近な人との関係は疎かになりがち。それにより起こる悩みや弊害というのは自分の身でもある程度理解しています(した気になっただけとも)。自分は『ひぐらしのなく頃に』から人との繋がりが大事という反面、『私がモテないのはどう考えてもお前らが悪い!』でそれを実行することの難しさなどを再確認させられたように感じます。焦点を当てている部分は両作とも異なりはしますが、「人との関り」という点は間違っていないと思います。


と、長くここまで書いてきましたが正直まとまりがついてないです。こう、突貫工事のお話はいけませんね。ただこの2つの作品に関しては何かと自分の心の中に残り続けている作品です。自分なりに楽しかった高校生活を陰から支えていた作品であったからかもしれません。なんとなくいい感じで締めさせていただきます。

このような駄文ですが、読んでくださった方、ありがとうございます。ありがとうございました。
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RaicaSuibu

Author:RaicaSuibu
沖縄県在住の専門学生(20)
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